旅道楽なエッセイ~なつかしの鉄道乗りある記「岩泉線」第4話
ひとり旅の思い出などを綴る旅道楽なエッセイとして、「なつかしの鉄道乗りある記」を連載します。今は廃線となってしまった地方ローカル線や第三セクター路線の乗車体験記で、今回は岩手県の超閑散路線だった「岩泉線」第4話をご案内いたします。
※岩泉線は今回が最終話です
「岩泉線」第4話

列車は折り返し8時03分発として岩泉駅を出発する。私以外のマニア2人は、どうやらこの折り返し列車で戻っていくようだ。私のほうは、このあと観光地の龍泉洞へ向かうため、時間に余裕がある。となれば、じっくりとこの駅を探検するしかない。
昔の名残なのか、駅舎内はかなり広く立派な待合室であった。駅の窓口は民間委託がされているようで、おばあさんが窓口業務を行っていた。せっかくの記念ということで、私は隣の二升石駅までの切符を買った。ささやかながら、岩泉駅の旅客収益になればというところだ。
ホームに列車がいるうちは、駅周辺や線路上などを探検することはできないので、しばらくは待合室やホームをうろうろとしていた。
待合室には先ほどまで列車に乗っていたおばあさんと孫娘が、駅にいたおばあさんたちと話をしている。見ていると、列車に乗るようすはないので、バスかなにかを待っているようだ。
やがて、列車の発車時刻が近づいた。ホームにいると、乗車するものと勘違いされかねないのでホームの外に出て、出発する列車を見送ることにした。ジリジリとベルが鳴り、ディーゼルカーはゆっくりと発車。行ってしまった・・・そうつぶやきながら、私はひとり、列車を見送った。
列車が出発したので、周辺の探検を始める。まずは、この路線がどうなっているのかを探る。終着駅ではあるが車止めはなく、そのまま線路が延びている。
もともと岩泉線は岩泉が終着ではなく、三陸海岸沿いの小本まで続く計画だった。ところが、赤字路線だったため工事が凍結され、結局そのまま延伸することなく盲腸線として現在に至っている。
途中から藪になってしまい、確認はできなかったが、線路はもう少し先まで伸びているような感じであった。終着駅なのに、終着駅という感じがしないというのが岩泉駅の印象だ。
それにしても、列車案内板を見ると唖然とする。改めて一日たった3往復というのがいかにすごいかというのを感じる。今、8時03分の列車が出て行ったが、次に岩泉駅に列車が着くのは午後4時23分。その間、8時間以上も列車の姿がない。 幹線であれば、たとえ夜中であってもそこまで間隔が空くことはないだろう。
そんな駅舎の一角に「岩泉線物語」と題した駅ノートがあった。私も一筆したためてきたが、読ませてもらうと、この岩泉線に興味や愛着を持って乗ってきた人が多いことがわかる。
都会では考えられないようなローカルな列車と、のどかな雰囲気、そしてゆっくりとした時間の流れ。そんなことが、旅人を寄せ付けるのかもしれない。
龍泉洞周辺の散策を終え、再度、岩泉駅にやってくると、さらに静寂が待っていた。昼間列車が来ないため、駅舎は事実上休業状態。むろん、待合室にはだれもいない。切符売り場の窓口も閉まっている。
私はホームに出て、セルフタイマーで記念撮影をすませると、だれもいない待合室に腰を下ろした。これだけの規模の駅舎に誰一人いないという状況は、カルチャーショック以外のなにものでもない。再び、「岩泉線、大丈夫だろうか」という不安がよぎる瞬間でもあった。
(岩泉線おわり)
日本有数のローカル線。一日なんと3往復のみの運行という超閑散路線。周辺道路未整備という理由から、奇跡的?に廃線をまぬがれてきた。日本の原風景が見られるとあって、岩泉線を愛する鉄道マニアも多かったようだ。
岩泉線は、岩手県の宮古市から少し山間部に入った新里村茂市駅と岩泉町岩泉駅を結んでいる。営業距離38.4キロ。駅数9つ。茂市駅以外は無人駅。すべて岩泉で折り返し運転をし、一部列車は宮古へ直通していた。
(2001年8月乗車当時のデータを一部編集しています)
※このエッセイは、過去にホームページで掲載した「鉄道乗車レポート」をリメイクしたもので、マイケルオズのnote及びブログ「旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り」でも掲載しています