旅道楽なエッセイ~なつかしの鉄道乗りある記「岩泉線」第3話
ひとり旅の思い出などを綴る旅道楽なエッセイとして、「なつかしの鉄道乗りある記」を連載します。今は廃線となってしまった地方ローカル線や第三セクター路線の乗車体験記で、今回は岩手県の超閑散路線だった「岩泉線」第3話をご案内いたします。
「岩泉線」第3話

岩手大川駅に到着して、状況が一変した。駅に高校生を含む30人近くの乗客が待っていたのである。学生たちがドドっと乗車してきたことで、今まで静まり返っていた車内が活気を帯びる。
いつもなら、通学する学生には申し訳ないと思いつつも「うっとうしいなあ」と感じる私であるが、このときばかりはなぜかホッと安堵した。
高校生たちは、岩泉高校の生徒である。この学校がある限り、というか通学する生徒がいる限り、岩泉線が残される可能性があるということがわかったからだ。もちろん、道路が整備されてバス路線が充実してくれば、岩泉線廃線ということも十分ありえる。
だが、利用者がいる限りは廃止してほしくないというのが、地元住民だけでなく私を含めた鉄道マニアたちの共通の思いではなかろうか。
もっとも、岩泉線を利用する高校生たちにとっては、自分たちはなぜこんなに不便なところに住んでいるのかと思っているだろう。そして、早く高校を卒業してこの地から離れたいと考えるだろう。
確かに、こうして旅先として訪れるには実に自然豊かですばらしいところだが、いざ住むとなるといろいろな面でたいへんに違いない。
ただ、高校生たちに忘れてもらいたくないのは、自分たちが住んでいるこの岩泉町というところは、日本の原風景・ふるさとの名にふさわしい場所だということだ。
唱歌「ふるさと」にこれほどマッチするところは、日本全国広しといえどもそうそう見当たるものではない。いつか、何十年先になるかもしれないが、そのことを誇りに思うときが来るだろう。
いささかセンチメンタルになってしまったが、列車のほうはさらに進む。次の浅内駅で高校生数人を乗せ、岩泉のひとつ前・二升石でもおばさんが乗り込んだ。とうとう、終着岩泉駅まで下車する人は一人もいなかった。
二升石を発車したところで、後部から車掌が出てきて切符の回収を始めた。実は終点の岩泉駅も無人駅だったのである。これで車掌が乗り込んでいた理由がわかった。車掌は岩泉駅の駅員代わりなのだ。
乗客は一見すると大勢いるが、その大部分は高校生たちなのでみんな定期券を持っている。したがって、回収作業のほうもそれほど時間がかからず、スムーズに終了したようだ。
列車は徐々にスピードを落とし、止まったかなと思ったらそこが岩泉駅であった。
到着のアナウンスがなかったので、あっけにとられるほどあっさりと終着駅に着いてしまったという感じ。岩泉駅はホーム一列の単線上にポツリとある静かな駅だった。町の拠点という雰囲気は全然ない。
駅舎入り口に「ようこそ岩泉へ」という歓迎の看板もかかっていたが、果たしてどのくらいの観光客が列車を利用するのかは疑問である。看板も昔の名残といったところであろう。
(つづく)
日本有数のローカル線。一日なんと3往復のみの運行という超閑散路線。周辺道路未整備という理由から、奇跡的?に廃線をまぬがれてきた。日本の原風景が見られるとあって、岩泉線を愛する鉄道マニアも多かったようだ。
岩泉線は、岩手県の宮古市から少し山間部に入った新里村茂市駅と岩泉町岩泉駅を結んでいる。営業距離38.4キロ。駅数9つ。茂市駅以外は無人駅。すべて岩泉で折り返し運転をし、一部列車は宮古へ直通していた。
(2001年8月乗車当時のデータを一部編集しています)
※このエッセイは、過去にホームページで掲載した「鉄道乗車レポート」をリメイクしたもので、マイケルオズのnote及びブログ「旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り」でも掲載しています