旅道楽なコラム~横綱玉の海をしのんで蒲郡を歩く

ひとり旅のエピソード、失敗談、感動秘話などを綴る旅道楽なコラム。今回は、「横綱玉の海をしのんで蒲郡を歩く」のタイトルで、2009年2月に愛知県蒲郡市を歩いた思い出を書きます。

横綱玉の海の石碑

悲劇の横綱玉の海のふるさと

真夏に開催される大相撲名古屋場所。地方場所はご当所力士への声援がひときわ大きくなるのですが、愛知県が生んだ横綱と言えば第51代横綱「玉の海」が忘れられません。

2009年2月のひとり旅は、東海道沿線にあるご当地グルメを巡るのがメインだったのですが、これにプラスアルファの途中下車を思い立ったのです。それが愛知県蒲郡市でした。

三河湾に面した蒲郡市には、海洋レジャーや温泉などの観光スポットも数多いのですが、今回の立ち寄りでは観光とは全く無縁の市街地を歩きます。

その目的は、蒲郡市出身の玉の海の足跡を訪ねることでした。玉の海は横綱の全盛期に手術後の突然死によって27歳の生涯を閉じた人物です。

玉の海が活躍した昭和45~6年は、大相撲に夢中な少年時代をおくっていました。玉の海は、大横綱大鵬を脅かす若き力として、北の富士とともに横綱になった頃でした。

大鵬の引退による世代交代で、玉の海と北の富士は「北玉時代」を築き、とくに玉の海は双葉山の再来とも言われる完成された右四つの型を持っていました。

昭和46年10月11日の急逝は、子供心にも驚きと悲しみが走りました。あれから半世紀、今でも玉の海は最強横綱の一人だったと思っています。

 

ゆかりの地を1時間かけて歩く

横綱玉の海のお墓

個人的な思い出話が続きました。そんな思い入れの深い玉の海のふるさとを訪れるチャンスが巡って来たのです。東海道本線で名古屋から蒲郡まで向かいます。

蒲郡駅を下車し、まずは市民体育センターのなかにある玉の海の石碑を目指します。玉の海をしのぶ唯一の記念碑と言ってもいいでしょう。

玉の海の石碑の前には相撲場があります。子供たちはもちろんでしょうが、その親たちの世代でも、往年の玉の海の現役時代を知る人はほとんどいないでしょう。

続いては、駅から2キロほど離れた高台にある天桂院の墓所を訪れます。ここに、横綱玉の海こと谷口正夫氏の立派なお墓があります。

周囲のお墓よりもひときわ目立つ高さを誇り、さすがは現役横綱だったと感じさせられます。ただ、葬儀の喪主を務められたのはお母さん・・・

玉の海は母子家庭だったそうで、相撲界に入ったのも親孝行をしたかったためと言われています。残された母親を思うと、胸が張り裂けそうになりました。

石碑と墓所を1時間かけて巡りましたが、在りし日の横綱玉の海や大相撲に夢中だった少年時代を思い出しながら歩いたので、あっという間の散策でした。

2022年には、没後半世紀(50年)ということで、同級生ら有志による企画展が行われました。納棺前に切り取られたまげ(遺髪)も展示されたそうで、コロナがなければ見学に行ったのに・・・😢

 

今回のキーワード「北玉時代」

昭和45年初場所後に横綱に同時昇進した北の富士と玉の海が、一時代を築いたことから名づけられました。その後、同時昇進は大関も含め、実現していません(2023年夏場所現在)

日本相撲協会の公式サイト

併せてこちらもご覧ください

(Visited 14 times, 1 visits today)