旅道楽なコラムvol.28~水戸天狗党の貴重なお話を聞く

ひとり旅のエピソード、失敗談、感動秘話などを綴る旅道楽なコラム。今回は、「水戸天狗党の貴重なお話を聞く」のタイトルで、2007年2月の茨城県水戸市へのひとり旅でお世話になった方の思い出について書きます。

回天館と再会のきっかけとなった木碑(円内)

水戸天狗党を慰霊する回天神社

茨城県水戸市は、江戸時代に徳川御三家の水戸藩があり、幕末の歴史では外せない「尊王攘夷」の総本山としても知られている土地です。

尊王攘夷を旗頭に上洛を目指しながら、幕府によって志半ばに散った水戸天狗党の隊士たちを祀っている神社があるのをご存じでしょうか?

その名は回天神社。水戸駅や偕楽園からは少し離れているので、観光客というよりも歴史ファンが参拝に訪れることが多いようです。私もその一人でした。

境内には、天狗党隊士の墓が整然と並んでいるほか、隊士たちが越前国敦賀で拘束された時に収容したニシン蔵が移築され、回天館という資料館になっていました。

回天館で「天狗党和田嶺合戦殉難烈士慰霊祭記念」と書かれた古い木碑を見つけました。和田嶺合戦は長野県下諏訪町であった松本・高島藩との戦いのことです。

合戦後、地元下諏訪の有志が天狗党の戦死者を弔うために浪人塚を建てました。浪人塚では毎年慰霊祭を開いており、回天神社からも参列者が訪れています。

新聞社勤務の頃、慰霊祭の取材をしたことがあり、神社の代表役員さんと名刺交換をしていました。そんな縁もあり、ひょんなことから代表役員さんと再会できることになったのです。

回天館の管理人さんと話をしているうちに、うっかり私が「新聞社の者です」と口を滑らせてしまい、管理人さんが「それなら代表役員に連絡を取るよ」と・・・あっという間の出来事でしたね😬

 

 

代表役員さんが語る熱い思い

回天神社にて

管理人さんからの連絡を受けた代表役員さんがやって来ました。ご丁寧に会社への手土産まで持参していただき、プライベートなひとり旅だったのでかえって恐縮したほど😓

代表役員さんの案内で、改めて回天神社や回天館を見学させていただきましたが、熱心な説明ぶりに水戸の人々の天狗党に対する思いが伝わってきました。

代表役員さんの元には、歴史ファンや研究者からしばしば電話がかかってくるそうですが、「電話口だけでは、とても語りつくせないよ」と苦笑していました。

また、訪れる人の中には回天館だけ見学して、神社や墓所をお参りもせずに立ち去る人もいるそうで、私も「リスペクトが足りないな」と思ったほどです。

ただ、かく言う勤務先の新聞社も回天神社を「回転神社」と誤植したことがあり、それについて代表役員さんから苦言を呈されました。旅先で恥ずかしい思いをするとは・・・

それでも私が熱心かつ興味深く話に聞き入ったためか、代表役員さんも案内の甲斐があったらしく、わざわざ武田耕雲斎の墓所(妙雲寺)まで連れて行って下さいました。

その後、お行き会いする機会もありませんが、この時の思い出は旅先の一期一会として、今も私の胸に深く刻まれています。

代表役員さんのご案内により、当初立てていたスケジュールは大幅に変更を余儀なくされましたが、それもまた、ひとり旅の醍醐味なんだなあと思ったわけです😆

今回のキーワード「水戸天狗党」

水戸藩のなかでも、とくに尊王攘夷思想の強い志士たちの集団が水戸天狗党。藤田東湖、藤田小四郎、会沢正志斎、武田耕雲斎といった藩を代表する人材が名を連ねていました。
地域情報サイト「まいぷれ」の天狗党紹介ページ

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