旅道楽なコラムvol.16~かつての大動脈「フェリー」で四国・高松入り
ひとり旅のエピソード、失敗談、感動秘話などを綴る旅道楽なコラム。今回は、「かつての大動脈「フェリー」で四国・高松入り」のタイトルで、2015年11月に宇高フェリーに乗船した思い出を書きます。
まさにラストチャンス
本州から四国入りするには、瀬戸大橋線や神戸淡路鳴門自動車道、さらにしまなみ海道を通るルートがありますが、かつてはフェリーしかありませんでした。
そのなかで最も多く使われていたのが、岡山県宇野と香川県高松を結ぶフェリー航路「宇高連絡船」。全盛期には旧国鉄をはじめ、3路線が運航されていたそうです。
瀬戸大橋線の開通前までは、東京からの寝台特急で宇野駅まで行き、ここで宇高連絡船に乗り換え、高松駅から四国各地に向かうのが一般的でした。
一方、四国の方にとってみれば、本州への玄関口が高松駅であり、集団就職の若者たちが宇高連絡船に乗って新天地へと向かったという歴史もあるそうです。
その宇高フェリーも時代の流れとともに減少の一途をたどり、旅行当時(2015年)には四国フェリー1社が細々と運航するだけになっていました。
四国へは何度も行っていましたが、宇高フェリーで渡るのはラストチャンスだろうと思っていましたので、この時の旅行プランに組み込むことにしたのです。
ちなみに四国フェリーも2019年に運航を休止し、100年以上の歴史をつないできた宇野と高松を直行するフェリー(定期便)は姿を消しました。
1時間の船旅を終えて
宇野駅は、降りると目の前にフェリーターミナルがあり、いかにも終着駅という風情を持っています。ターミナルもかなり大きめの施設でした。
フェリーは予想以上に大型でしたが、トラックなど輸送の足であれば当然と言えます。ただ、観光客とおぼしき人の姿は全くありません。
宇野港を出発してから約1時間の船旅。内海の瀬戸内海で、しかも大型フェリーですので揺れることはなく、船内では快適にくつろげました。
船内には売店と食堂があり、名物のフェリーうどんも食べられます。さらに「土佐の湯」という浴室もありましたが、利用者はいなかったようです。
本州側の島影がどんどんと遠ざかっていくと思ったら、正面の島影が近づいてきます。これが四国側で、まさに本四を渡るフェリーならではの情緒あふれる風景。
鬼が島の別名がある女木島を過ぎ、進行方向左側奥には特徴的な形をしている屋島の台地が見えてくると、いよいよ高松港は目の前に迫ってきます。
高松港の桟橋に降り立った瞬間、「四国に来たなあ」という実感がわいてきました。最初で最後となってしまった宇高フェリー。充実した1時間でした。
フェリーの乗客に観光客が皆無だと分かったのは、私のように甲板や客室を右往左往している人が他にいなかったからです。地元の方には単なる移動手段に過ぎないわけですから😶
宇高連絡船の本州側玄関口だった宇野港ですが、今はアートプロジェクトの散策エリアになっています。漫画「ののちゃん」の作者・いしいひさいちさんも玉野市出身です。
併せてこちらもご覧ください