ひとり旅で神社参り「南東北編」~南湖神社、愛宕神社、上杉神社

八百万の神(やおよろずのかみ)が御座す神社をお参りし、大願成就やパワースポットの恩恵にあやかりましょう!

ひとり旅で神社参り~今回は「南東北編」と題し、南湖神社、愛宕神社、上杉神社の3カ所と、寄り道スポット「喜多方ラーメン」をご案内いたします。


広告

南湖神社がある福島県白河市の南湖公園は、江戸時代後期に白河藩藩主だった松平定信公が庭園として整備しました。定信公は江戸幕府の寛政の改革で知られていますが、藩主時代も名君だったとされ、領民に慕われていたそうです。

南湖神社は大正11年に創建されました。定信公の遺徳を称えたいという市民や崇敬者のほか、当時財界の長老だった渋沢栄一も創建に尽力しました。渋沢は御祭神である松平定信公を熱く崇敬していたそうです。

定信公の治世にあやかった学問成就や、定信公が縁を取り持ったという逸話にちなんだ縁結びの神社として、多くの参拝者が訪れています。春になると、公園一帯を満開の桜が彩る花見の名所にもなります。

南湖神社公式サイト

ひとり旅で神社参り~神社ミニ知識

神社で気持ちよくお参りするために~知っておきたいマナー
・神社を訪れたら、鳥居の前で一礼しましょう
・手水舎で両手を清め、口をすすぎましょう
・帽子をかぶっている方は、参拝前に脱ぎましょう
・一部の神社を除き、「2礼2拍手1礼」が基本です
・神前へのおじぎは頭を深く下げましょう
・鳥居を出る時も一礼しましょう

 

愛宕神社のある福島県会津若松市は、戦国時代には伊達政宗や蒲生氏郷が統治し、江戸時代に保科正之を藩祖とする会津藩があり、武士の歴史に彩られたまちです。神社は市街地から東山温泉に向かう途中の山麓にあります。

鶴ヶ城の残石を使った石段を上ったところに本殿があり、裏手には山が迫っています。奈良時代に玉泉と名乗る修験者が勧請したと伝わっており、御祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、月読命(つくよみのみこと)です。

神社の裏手にあたり、隣接する天寧寺の墓地の一角に「近藤勇の墓」があります。 近藤は、幕末に会津藩お預かりとして京都で活動した新選組局長として知られ、墓所を建てたのは盟友だった副長の土方歳三だと言われています。

ふくしまの旅サイトの愛宕神社紹介ページ

ひとり旅で神社参り~神社ミニ知識

お祭りなどの神事の前に唱えられる「祓詞(はらいことば)」をご紹介します
掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓へ戸の大神たち
諸々の禍事・罪・穢あらむをば
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
恐み恐みも白す

 

山形県米沢市は江戸時代を通じて上杉家が藩主として統治していました。とくに戦国上杉家の礎を築いた上杉謙信に対する思い入れは深く、初代藩主の上杉景勝、その重臣の直江兼続とともに、今も人気を誇っています。

明治になって米沢城跡に上杉神社が創建され、上杉謙信公を御祭神として遷座祭を行ったといいます。上杉家は越後から会津、米沢と転封していますが、その際に謙信の遺骸を運び、廟所を設けて祀ってきたという歴史があります。

上杉神社の摂社である松岬神社には、窮乏著しかった米沢藩を立て直し、江戸時代屈指の名君と言われた上杉鷹山公が祀られています。宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)」では、謙信公はじめ、歴代藩主らの遺品・遺墨が見学できます。

上杉神社公式サイト

上杉神社のある米沢は戦国時代まで伊達家が所有しており、伊達政宗も米沢の地で生まれました。市内には政宗にゆかりの史跡も点在していますよ😉


広告

 

会津若松と米沢を結ぶ国道121号は喜多方市を通ります。喜多方は昔から「蔵の街」として知られていますが、今は「喜多方ラーメン」ですっかりお馴染みになりました。

喜多方老麺会(らーめんかい)の公式サイトによると、市内には約100軒ものラーメン店があり、人口あたりの軒数は日本一だそうです。

特徴は醬油ベースのスープとやや太めの縮れ麵ですが、店によってバリエーションは豊富。早朝営業の店もあり、地元では「朝ラーメン」を定番にしている人も。

もちろん「蔵の街」の風情は今もしっかりと残されており、喜多方ラーメンを味わいながら、ゆっくりと街並み散策をしたいものですね。

喜多方老麺会の公式サイト

 

※このガイドは、ブログ「旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り」に掲載した神社参りコラムを再編集したものです。

※併せて、こちらのコラムもお読みください


広告

(Visited 4 times, 1 visits today)