旅道楽なコラムvol.14~神社お参りの意味が変わった大きな節目

ひとり旅のエピソード、失敗談、感動秘話などを綴る旅道楽なコラム。今回は、「神社お参りの意味が変わった大きな節目」のタイトルで、2015年3月の大阪での大相撲観戦と神社参拝をセットした思い出を書きます。

神葬祭を経験したことで

若いころから神社や寺院を見学するのが好きでした。それは、由緒ある神社仏閣の歴史を知りたいという歴史愛好家の嗜好があったからです。

その意味合いが大きく変わった節目がありました。2014年の年末の出来事です。旅とは関係ない個人的な話が中心になりますが、ご容赦ください。

同年秋から入院していた父親が亡くなり、葬儀を行うことになったのですが、生前の意向を尊重して「神式」での葬儀を選択したわけです。

神式では、「霊璽(れいじ)」と呼ぶ白木の位牌のようなものに故人の魂を移し、葬儀の際には玉串をささげ、柏手(かしわで)を打ちます。ただし、音を立てずに手を合わせます。

そして五十日祭という節目(仏式に例えると四十九日)を過ぎると、故人は守護神となり、忌中が明けます。こうした「神葬祭」の流れを実体験したわけです。

忌中明け最初のひとり旅として、3月の大相撲春場所観戦と大阪飲み歩きを計画し、その中に住吉大社と大阪天満宮の参拝をプランニングしました。

目的は心身のリフレッシュにありましたが、それ以上に父親の「初彼岸」を前に、しっかりと神社でお参りをしてきたいという強い思いがあったのです。


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住吉大社でお参りをして

住吉大社の楠珺社

前日から大阪入りしていた私は、真っ先に住吉大社へ向かいことにしました。9年前に訪れたことがありましたが、当然気持ちも思いも全く違います。

住吉大社を選ばせていただいたのは、摂津国一之宮という由緒があり、大阪で初詣といえば「すみよしさん」と言うほど人気がある神社だからです。

神道では「八百万(やおよろず)の神」と表するように、神様は無限にいらっしゃるという考え方です。ゆえに仏教の宗旨宗派のような隔たりは無いと思っています。

父親も我が家の守護神となったわけですから、八百万の神の「末席」にいるはず。神社を参拝するということは、父親にも手を合わせるという意味に通じるわけです。

住吉大社の境内には、樹齢千年を超えるとされるクスノキの巨木があり、「楠珺社(なんくんしゃ)」と呼ぶ神社の一つだと知りました。

「巨木がご神体なっているんだなあ」と感銘を受け、一瞬「これは旅行後の話のタネになるな」と頭をよぎったのですが・・・

話し相手の父親はこの世にはいないことに気づいたのです。気を取り直し「神様になったのだから、今、一緒に見ているかもしれない。いや、見ているだろう」と思ったのでした。

住吉大社でのお参りをきっかけに、神社でお札を授かって父親の神前に捧げるようになりました。1年経ったお札は神前から下げ、旅のお土産として大切に保管しています。

 

今回のキーワード「神葬祭」

神道のお葬式である「神葬祭」は、仏式とは違ったマナーが求められます。香典を持参される際には、表書きに注意しましょう。「御神前」「御玉串料」「御榊料」のいずれかとなります。

ひとり旅で神社参り「三重県編」~伊勢神宮内宮、外宮、猿田彦神社も併せてご覧ください


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